SSブログ

特撰落語会 三三・兼好 二人会 [落語]

特撰落語会 三三・兼好 二人会
於:神保町 一ツ橋ホール

三遊亭ごはんつぶ『子ほめ』
柳家三三『湯屋番』
三遊亭兼好『三方一両損』
三遊亭兼好『館林』
柳家三三『富久』

中野から神保町まで移動する。
いつものように高円寺まで行ってタイカレーを食ってから移動するもだいぶ時間が余る。かと言って一度家帰っても1時間くらいでまた出かけなきゃならないという中途半端な時間。結局マックで時間を潰す。

ごはんつぶさん、さすがにこの番組なら普通に古典ですか。
ご隠居に世辞愛嬌を教わるときに、40から上を延々と聞く場面をバッサリとカット。あ、番頭さん抜かして直で子どもを褒めにいくパターンかなと思いきや番頭さんのくだりはキッチリと。
そういや確かに番頭さんとのやり取りでは40以上の根問部分いらないもんなあ。あそこ面白くないし、そこをカットしたのはセンスがいいのでは。

三三師の一席め、兼好師について「顔も笑って目も笑ってるのに、笑ってない」と称する。……わかる。兼好師は打ち上げなどで一緒に飲んでる時もニコニコとしているのだが、どこか一定以上は踏み込ませない距離があるように思える。まあその距離は誰に対しても一定(のように思える)のでいいんだけど、どうにも本心が読みにくい感じ。多分それは噺家仲間にも同じなのかも。
噺に入ると飄々とどこまでも軽い若旦那が楽しい。これだけ楽天的に生きられたら人生楽しいだろうなあ。
念願の番台に登り、「この喜びを表現しよう。バンダ(ザ)ーイ! ……やらなきゃよかった。今年いっぱい落ち込む。……よかった年末で」だそうで。
そういやこの若旦那、湯屋のおかみさんが美人でいまの旦那の後釜に据えられることを狙ってお湯屋に奉公にきたはずなのに、番台に座った途端忘れてるんだな。

兼好師の一席め、「言っときますけど会津って軽いですからね。三三兄さんか言ってた謹厳実直で重厚な人なんていない。昔はいたけどそういう人は全員戊辰戦争で切腹した。今の会津人は『え、俺もともと長州大好きだし』っていう人たちの子孫ですから」てのがとにかくおかしい。
「今年は何かを成し遂げたという実感がない。強いて言うなら大谷さんを一所懸命応援したくらい。彼は打っても投げてもすごいけど、さらに盗塁もすごい。二刀流どころじゃないのに少しも上から目線の発言をしない。普通ちょっとはあるでしょう。『白鳥さんのファンなんです』っていう人を下に見たり……」白鳥ファンとばっちり。
「賞を総ナメにしてもあまり頓着していないように見える」と金や名誉に執着しないところが通じると江戸っ子の噺へと繋がっていく。
金太郎と熊公の喧嘩が始まるときの「やれるもんならやっ」あたりでポカリと食らわせるのがいつもながら面白い。

二席めの『館林』は久しぶり。
というかこの噺自体掛ける人が少ないようで、兼好師の他には一之輔師でしか聴いたことがない。その一之輔師も兼好師から教わったそうなので、実質兼好師の型しか知らないことになる。いやだからなんだといえばそれまでなんだけど。
武者修行の話を聞きつけた八っつぁんが先生に尋ねにくるのだが、それがなぜか「ムチャチュギョウ」と舌足らずに声を裏返していうのがおかしい。なんでそんな言い方に。

三三師の二席めは年末らしく。
江戸時代の富くじがどれだけ高価だったのかを丁寧に説明してから本編に入る。
噺の筋は変わらないが、細部はいろいろと変わっている。
富くじを買うのも昔世話になった人で、「一緒に富を売らないか」と持ち掛けてくる。「今扱っているのが売り切れないと次の商いができないんだけど」と見せた札を久蔵が気に入ってなけなしの金を使って購入する。
酒を飲み始めるのも家事見舞いにもらった酒をチラチラ気にするのではなく、火事が収まった後に「飲ませてください」と番頭さんに直談判するのも珍しい。
久蔵が大変な酒乱で、酒を呑んで旦那や番頭さんへの文句を言い出すのは誰かで聞いたことがあるような気がするが、それでも少数派な気がする。
火事で焼け出された後、芝の旦那が久蔵に奉加帳を作ってやり、過去にしくじったところに詫びを入れつつお金をもらってこいというのも初めて聴くが、旦那の人柄が出ていてとてもいいと思う。
富に当たった後は「札がなくたっていいでしょう」と粘るが、値を下げて交渉するところはなし。あそこは聞いてていたたまれなくなるというか心苦しくなるので助かる。
マクラで「大神宮様のお祓い」についても説明していたのでスタンダードなサゲかと思ったが、ここも結構変えられていた。
『富久』はあまり好きな噺ではないのだが、新鮮味があって興味深く聴けた。さすがですなあ。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:芸能

実力派二ツ目独演会 らくご長屋 小辰独演会 [落語]

実力派二ツ目独演会 らくご長屋 小辰独演会
於:中野 なかの芸能小劇場

入船亭小辰『のめる』『藁人形』『ねずみ』

なんだかんだで家を出るのが遅くなり、着いたのは超ギリギリ。小辰さんが高座に出てくるのと同時に席に着く。

主催のオフィス10の社長が倒れたのが前回のこの会の当日夜中で、「だったら中止にすりゃよかったじゃねえか、と……。でも大病して戻ってきたから、もう死なないでしょ。大体落語界はいい人から死ぬんです。志ん朝談志とみてください。志ん朝師匠がだいぶ先に逝った。だから死にません。もっとも亡くなってももうお嬢がいるんだから大丈夫でしょう。ひとりでやっていけるよ。そしたら会社名を『オフィス11』にするとか。いやひとり減るから『オフィス9』かな。……こういうことをいうとお嬢の目が怖い」とシャレの効いたエールを。
この会ではまだ言っていないということで真打昇進の報告を。「いつまで言っていいのか加減がわからない」そう。
「真打になるからって何が変わるわけではないのですが……。でもこの時期にガラッと変わる人もいますからね。よく覚えてるのは龍玉師匠。二ツ目の弥助時代は雲助師匠そっくりで『小雲助』みたいに言われていましたが、真打昇進が決まった頃からガラッと変わったのが袖で聴いていてもわかりました。お客さんや他の師匠たちからも『あそこから変わったよね』と指摘されてましたから。……私も『小扇辰』っぽいところがありますから、ぜひ脱却したいところです」。頑張って。
さて一席めの『のめる』は小辰さんでは初めて。
大根の案をご隠居から授けられたときに「だからそれを聞いてどうすんですか!」とブチぎれるのがおかしい。
八公が騙しにきていると見抜いたときの半公の表情や仕草がなんというか小狡い感じが実によく現れている。
「大根百本醤油樽に……」に最初は「無理だ」とか「タガがはじけるよ」と答えていたのに、最後は「詰まるんじゃねえか、頑張れば」と変わるのも楽しい。

そのまま二席めに。
「今の噺のように、騙す噺というのはいろいろあって……。そういえば騙すとはちょっと違うんですが、ニュースで見たのがある地方、愛知だったかな、でスーパーでフグの肝を売ってたんですって。なんかその地方では普通みたいですね。でも本当はダメですから店長が捕まって。インタビュー受けてたんですけど、『今後こんなことがないように肝に銘じます』って……。でも福井の方ではフグの肝を糠漬けにして食べます。なんで毒が抜けるのかは今でもわからないそうですが、先人の知恵なんでしょう」と糠の効用の話へ移り、糠屋の娘が登場する『藁人形』に。『のめる』と面白いところで被っている。
まさに「小扇辰」っぽく扇辰テイストが溢れる一席。
お熊の蓮っぱな色気のある感じなどが似てるなーと思う。
それと戸をどやして開けるときの仕草なども本当に扇辰師っぽい。なんだろう、手の動かし方とかなのだろうか。

三席め、最近ようやく旅の仕事が戻ってきたといい、「『旅』と聞くと『仕事』と思ってしまう。皆さんは旅行ですから『楽しい』と思うでしょうが……。いや楽しいのは楽しいんですが、なんでしょう、向こうに着いた途端『帰りたい!』って思っちゃうんですよ……」だそうで。俺にはわからん感覚だなあ。
これまた端正な『ねずみ』を掛ける。
でもなんだろう、あくまで私の感覚だけれども扇辰師よりも他の柳家の師匠っぽい感じがする。小せん師とか。まあ入船亭は柳派だから当たり前なのかもしれないが。
ニコニコと人のいい甚五郎が、飯田丹下が掘ったという虎を見た時の表情をなくすときの顔のグラデーションがいい。実に自然で甚五郎の心の動きがわかりそうな感じがする。

今日はどれもよい感じに仕上がっているようで、満足度が高い。
タグ:入船亭小辰
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:芸能