SSブログ

両国寄席令和4年 3月10日 [落語]

両国寄席令和4年 3月10日
於:お江戸両国亭

三遊亭けろよん『雑俳』
三遊亭好二郎『たけのこ』
三遊亭兼太郎『ざるや』かっぽれ
三遊亭好の助『狸賽』
三遊亭楽之介『初音の鼓』
三遊亭楽生『寿限無』
三遊亭しゅりけん改メ兼矢 二ツ目昇進披露口上
三遊亭兼矢『雛鍔』
マギー隆司 奇術
三遊亭兼好『不動坊』

兼好一門勢揃い。
開場時間の17時半をちょっと過ぎた頃に着いたのだが、もうかなりの混みよう。マジか。ここまでとは予想していなかった……。
運良く3列めのどまんなかにひと席だけ空いていたのでずんずんと入り込む。こういうときは遠慮とかしてられない。

好二郎さん、弟子入りのときの苦労話というか、好二郎自身は九州に兼好師がきたときに何度も落語会へ行って、それで何度も頼み込んでやっと入門を許してもらったという。「なのに兼矢はちょっと違っていて、両国寄席とか梅屋敷寄席とか、木戸銭が千円のところしかこない。アイツは質より量を選んだ。最後の方なんて『師匠、そろそろとってもらえませんか』とか言ってましたから」だそうだ。なんか兼矢さんっぽい。
梅屋敷寄席に続き、縁起のいい噺ということでよく伸びる筍の噺を。喜多八師の型で小辰さんもやっているのと同様のもの。
悪だくみをする屋敷の主人の童心が楽しい。

兼太郎さんも兼矢さんの弟子入りのときの様子について話す。「私もそのとき荷物持ちで一緒にいたんですが、『ダメだよ』って断られたら『あっ、そうスか。じゃっ!』って帰っていきましたからね。もうちょっと粘れよ」。これも兼矢さんぽい。
入門後についても。「兼矢は私がちょうど二ツ目に昇進したときに入ってきたんで、あまり小言とか言ったことがないんです。でも私が『今日の高座どうだった?』って聞くんですよ。そうしたら『兄さん、悪くないです』って。……超上からじゃん、すっげえ角度つけてくんじゃん。なんだソレ。それじゃまずいと思ったのか、その後にも聞いてみたら『兄さん、最高です』っていうようになった。『どこら辺が?』と聞いてみると『……どこでしょう』って……」。これもまた兼矢さんは言いそう。
噺はめでたく『ざるや』。「ざるやさん、好きな食べ物はなんだい?」「たけのこです。伸び上がる」と弟弟子のネタも拾う。
落語は短めに切り上げ、ご祝儀のかっぽれを。
格闘技をやっていたからなのか、身体の軸がどっしりとしていてまるでブレない。片足で回転するところなどもかなりキレイに回る。今まで何度かかっぽれを踊る人を見たが、一番安定感があったんじゃないだろうか。

好の助師、冒頭でたぬきが訪れてくる場面では「誰だい?」「はふひです」「誰?」「はふひ!」「兄貴?」「兄貴じゃなくてはふひ!」……というようなまどろっこしいやりとりはなく、「誰だい?」「たぬきです!」とハッキリと発音しているのが潔い。しかもこんなにハッキリ「たぬき」と言ってるのに家主は受け入れてくれずに「え?」「誰?」と何度も聞き返すのもおかしい。

楽生師、さっき楽太さんで聴いたのと同じ型。ということは圓楽師の型なのか。

仲入り後に兼矢さんの二ツ目昇進口上。通常こういうときは周りからなにをいわれても当人はポーカーフェイスで切り抜けるが、兼矢さんはずっとニコニコ。
楽之介師の口上では「大師匠の好楽さんは元は彦六一門。兄弟弟子に先代の春風亭柳朝さんがいるが、その弟子の小朝さんが売れたときには『小朝の師匠の柳朝です』と言っていた。普通噺家の自己紹介は『誰々の弟子の〇〇です』というのに逆になった。兼矢さんには兼好さんに『兼矢の師匠の兼好です』と言われるように頑張ってほしい。……兼好さんは意地でも言わないでしょうが」とのこと。
兼好師からは「兼矢は不思議な子で、他の弟子は『入門してこれくらい経って、元の力がこれくらいだったんだから、これくらいはできてほしい』というのがなんとなくわかった。でも兼矢だけはわからない」と評価される。それだけ伸び代があるってことじゃないですかね。
10秒間だけ撮影OKタイムが出る。
DSC_4072.jpg
DSC_4077.jpg
Nikon Df

さて兼矢さん、昼とはまたネタを変えて『雛鍔』。
私もそんなたくさんの人のを聴いたことがあるわけではないので間違ってるかもしれないが、これは一之輔師のじゃないかなあ。
ご隠居から詫びを入れられ、「火事見舞いでもあれば伺えるのに。ご隠居が今日きてくれなければ明日あたり近所に火ィつけに行くとこだった」とか、ご隠居から小遣いをもらいそこねたときに舌打ちしたりとか。今後はこういう毒を含んだ噺も増えていくのだろう。そのときにどのような表現になるのか楽しみだ。
俺はあの兼矢さんの甚兵衛さん的な雰囲気が好きなので、それがうまくブレンドされていければいいなあと思う。

マギー隆司先生、「まあみんな兼好師匠聴きたいだろうからね、短くね」というが、先生のゆるいマジックも長い時間見たいです。

兼好師、いつも言っていることだが吉公の狂気と正気の狭間の目つきの変わりぶりが素晴らしい。さらに風呂屋で吉公の狂気に巻き込まれた生薬屋の旦那の怯え方もおかしい。言葉で描かれているわけでもないのに、巻き込まれまいとする周囲の引きっぷりが見えるのがすごい。風呂屋の場面の面白さについては随一ではなかろうか。
モテない三人組が長屋の屋根の上でふんどしを外して寒さに耐えているという場面のくだらなさもたまらない。いやーコレやっぱすごいよ。

さてそれにしても兼矢二ツ目昇進の会というのはないのかなあ。もうちょっとちゃんとした写真撮りたい。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:芸能

亀戸梅屋敷寄席 令和四年三月十日 [落語]

亀戸梅屋敷寄席 令和四年三月十日
於:亀戸 亀戸梅屋敷 藤の間

三遊亭楽太『寿限無』
三遊亭楽花山『真田小僧』
三遊亭ぽん太『猫と電車』
三遊亭好二郎『熊の皮』
三遊亭兼矢『お見立て』
三遊亭圓橘『悋気の火の玉』

有給。
近所にあったタイ料理屋が閉店してしまった。
最後のふた月ほどはこれまで以上に行くようにしていたのだが、最後の2日はずっと満員で入れず、ママさんとちゃんと別れを言えなかったのが少し心残り。
そんなことを思いつつ、食べ放題ランチがあるという高田馬場のタイ料理屋へ行ってみる。うん、まあ普通。でもタイ米を思う存分食べられるのはありがたい。カノムチンの味の奥にバンコクの路地裏の匂いを感じた。

今日は兼矢さんの二ツ目昇進口上があるというので、両国寄席には行くつもりでいた。
が、好二郎さんのインスタを見ていたら梅屋敷寄席でも兼矢さんが出るということだったのでこちらにもきてみる。

楽太さん、寿限無の謂れを家に帰っておかみさんにも講釈するという型で、これは初めて聴いたかも。もちろん落語なので聞きかじりの講釈はいつの間にか間違っている。

楽花山さん、兼矢さんと同じ大学だったそうで。ただキャンパスが違うし学年も異なるので会うことはなかったらしいが。
関西の大学だったということで、上方版の『真田小僧』。なるほどこの話の内容だと上方弁の方がしっくりくるかも。濡れ場などもこっちの方がややどギツめか。

ぽん太さん、戦中の漫画家、田河水泡作の落語だそう。田河水泡作といえば『猫と金魚』が有名だが、他にも90作ほどあるという。それを演じる依頼を受けているそうで、今日はその中の一作をかける。
「古典落語といいながら、稽古は現代の人につけてもらってるのでどこか現代風になっている。でもこれはその当時のままを解凍しているようなものですから……。もしかしたらもう賞味期限は切れているかも」。
噺は校長先生から猫を貰ってくれと頼まれた用務員さん(?)が子猫を連れて電車に乗り込むというもの。電車と言っても多分路面電車だろう。
電車には猫は持ち込めないので、どうにかして車掌にバレずにごまかそうとする。まあたしかに現代からすればちょっと弱いかも……。
『のらくろ』といい『猫金』といい、田川水泡は動物好きだったのかな。

好二郎さん、兄弟子らしく兼矢さんの紹介から「めでたい時期にはめでたい噺を掛ける」と『熊の皮』に。……めでたいの? まあめでたいことがあったから赤飯のおすそ分けがあった、という話の流れだからいいのか。
この甚兵衛さんのおかみさんは結構な悪妻? 甚兵衛さんに仕事を押し付けるときはかなり高圧的で笑い方が悪人のそれ。兼好師とはだいぶ違うなあ。
甚兵衛さんと先生の会話部分もちょっと説明不足というか、わかる人にはわかるけど、初めて聴いた人には通じるかな? という感じ。時間的にカットカットしたらそうなったってことなのか。なんか絶妙に惜しい感じ。

さて兼矢さんとしての初めての高座。
弟子入りのときの話で、兼好師に「出身はどこ?」と聞かれ、「山口です」と答えたところ、「俺会津なんだよ」といわれたという。が、「? そうですか」と返して呆れられたそうだ。まあ正直私も長州と会津の因縁は、小学生の時に林間学校が会津だったからなんとなく知っているくらいで、実際のところはよく知らないのだけれど。
とはいえ兼好師は地元での仕事も多く、その際に山口出身だとバレておじいさん世代に謝罪を求められることもあったのだとか。「まあ『すいませんでした』っていったら『いいよ』って許してもらえたんですけど」だそうだ。
そんな「自分は田舎者だ」という自己紹介から田舎者にシンパシーを感じると『お見立て』に。
これもまた兼好師の型とは大きく異なっている。
大体の人は杢兵衛お大尽を振る口実として最初は「患った、風邪が悪化した」というものが多いのだが、兼矢さんはこの時点から恋患いということにしていた。確かにそうすれば次の「恋患いで死んじゃった」という展開には理屈が繋がりやすいので、なるほどと思った。が、そうすれば「見舞ってやんべ」となるのは当然で、そうすると「どうしても帰らないお大尽」という野暮天を笑うという構図にはなりにくい。
それに、この喜瀬川の言い訳は理屈の通らない無茶苦茶なことをいっていることとそれに困る喜助、さらにそれに気づかないお大尽という構図が面白いのであって、言い訳の理屈が通っていることは実はそんなに重要に重要じゃないんだなあと気づいた。
とはいいつつもまずは前座噺から離れ、真打も掛ける噺を堂々とアレンジを加えて演じていることに感慨深いものがある。頑張れ。

圓橘師、「『お見立て』という噺はリズムが大切。……今日のあれでは……」とかなり辛口の講評を下す。「なんで私がこんなに厳しいことをいうのかというと、私が『読書会』というものを開いていて、外国作品などを読んで『ここはこういう意味でこういうことを話している』とかなんとかみんなで話し合っている。そこでチェーホフだったかな、私が『これこれこうだ』と話したら、アイツは文学部出身ですから『師匠、その解釈は間違っています』って」。……すげえな大叔父筋に当たる師匠にそんなこといっちゃうの? イマドキというか……。
縁起の話もしていたと思ったが、『悋気の火の玉』って縁起いいの? 人ふたり死んでるけど……。「燃え盛る」ってことで縁起いいのかな。謎。

終演後に出口に好二郎さんとスーツ姿の兼矢さんがいたので祝儀を渡して(←重要)、両国寄席にも行くことを伝えて一度家に戻る。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:芸能