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第四十八回 よこはま落語会〜未来の大看板を応援する会〜 三遊亭兼好独演会 第八幕 [落語]

第四十八回 よこはま落語会〜未来の大看板を応援する会〜 三遊亭兼好独演会 第八幕
於:吉野町 吉野町市民プラザホール

三遊亭兼好『強情灸』
三遊亭じゃんけん『貧乏花見』
三遊亭兼好『紋三郎稲荷』
三遊亭しゅりけん『牛ほめ』
三遊亭兼好『二番煎じ』

「この会は遠くて本来追っかけ対象エリア外なのだけれども、ここ最近の兼好分不足のために」と毎回のように書いている。最近は兼好師の会も土日なら行けるようになってきているんだが、今年は全体的に落語に行くのが減っているので行けるものは全部行ったれとばかりに行くことにする。
これまでの経験から、前日に予約するといい席に当たるので今回も前日に予約する。思った通り2列めの席だった。

兼好師の一席め、インフルエンザの話題から耐性菌について。「薬を飲み過ぎると耐性がつく。前座への小言と一緒」とのこと。曰く、前座に小言をいつも言っていると本当に反省するのは入門して一年半くらいだという。反対に八代目文楽師はほとんど小言を言わない代わりに、ほんの些細なことでものすごく怒ることがあったそうで、それが常に緊張感を生んでいたようだとか。「だから私も弟子についてあまり小言を言わないようにしている。じゃんけんが来年二ツ目に昇進するんですが、それまでいろいろ溜めておいて、前日に『破門!』てしてやろうかと」。そりゃ怖い。
昔は薬もほとんどなくて揉み療治やお灸などに頼っていた、と『強情灸』に入る。
いつもながら峰の灸の従業員の首振りがおかしい。
そのほかにも順番を変わってくれた年増の仕草とか、腕に乗せた灸が熱くなってきたときの表情とか、とにかく細かいところのひとつひとつまで行き届いており、それが心地よい。
灸が熱くなったときに急に声が高くなって細くなるのがおかしい。

じゃんけんさん、師匠のマクラを聴いていてドキドキしたが、今日なにかやらかしたかな? と思ったら自分のめくりを忘れてきたという。
本来噺家は季節に合った噺をするものだが前座は後ろの師匠方に気を使うのであまりできない、せっかく季節の噺を覚えてもその季節に演ることできないことが多いという。せっかく覚えたので春の噺を勉強させてください、と上方版『長屋の花見』の『貧乏花見』を。
……うーん、話の内容はほぼ同じだし、口調は江戸弁なのでわざわざ上方版でやる必要あるかな?

兼好師の二席め、最近よく個人情報の流出について聞くが、それはもう仕方のないことで、何かアンケートに答えるとすぐ営業のDMがきたりするという。それが嫌ならばウソを書くしかないといい、女性の名前を使ってみたり年齢をごまかしてみたりするという。「佐藤兼平80歳、健康に不安あり、なんて書くとすぐお墓のDMがくる」そう。
そんな騙し騙されの話から『紋三郎稲荷』に。
駕籠から狐のしっぽが出ているのを見つけた後棒の仕草がたまらなくおかしい。駕籠かきの掛け声も先棒が「はい、はい」なのに対して後棒が「ヤダ、チョット」となぜかオネエ口調になるのも面白い。

いつもならば仲入り後はすぐに兼好師の三席めなのだが、今日はしゅりけんさんも登場。
『牛ほめ』は何度か聴いたことがあるが、次第に上手になっていく。家を褒める場面でのカンペを読むくだりが面白かった。

兼好師の三席め、「三度の火事より一度の後家」ということわざを紹介。「火事を三度出すよりも夫を亡くすほうが悲しい」ということだそうだが、「そうですかねえ。こないだうどん食べようとしてヤケドした私を見て女房は大爆笑してましたけど」。相変わらず仲が良さそうでなによりです。
昔は火事が出やすかったと火事の悲しさの話になっていったので『富久』かなとも思ったのだが『二番煎じ』だった。
この噺を聴くと冬になったんだなあとしみじみ思う。
夜回りのシーンではじいさんたちの「火の用心」の声出しが面白い。謡の師匠の黒川先生が「イヨォー、ィイヨォー、イ、イヨォー」と掛け声が入るのはいかにも能の稽古をしている兼好師らしい。
後半の鍋の大宴会もいい。歌ったり唸ったり、隠居たちのかくし芸の場面は兼好師がやりたいだけなんじゃないかと思うほどノリノリ。
こないだも書いたが、こういう人が大勢出る噺は誰が話しているのかわからなくなるものだが、兼好師の場合は人物ひとりひとりに個性をつけて、誰が話しているのかがすぐにわかるようになっている。なのでより一層火の見番屋の様子がありありと浮き上がってきてまるで自分もそこにいるかのように思えてくる。

終演後は近くの飲み屋で兼好追っかけ仲間たちと飲む。『二番煎じ』の後なんだから日本酒飲めばよかったかな。
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