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人形町噺し問屋 その104 [落語]

人形町噺し問屋 その104
於:人形町 日本橋社会教育会館

三遊亭兼好 ご挨拶
三遊亭げんき『孝行糖』
三遊亭兼好『館林』
檜山うめ吉 粋曲
三遊亭兼好『河童の手』

本来は代休だったのだが仕事か終わらずに結局出身。来週こそは代休の代休を取らなければ。
といいつつせっかく出勤してるのに早めに上がって落語に行くというなんだか本末転倒のような気もするが。

まずはご挨拶。
「雨男の私がついに台風が避けるようになった。この成長を見てもらいたい。しかしこの台風は遅い。自転車くらいの速度なんですって。そしたら楽屋ではいいお爺さんの師匠たちが自転車の話ばかりしてる。『自転車ったって誰が漕ぐかによるよなあ』とか」。そういう話かなあ?
「噺家の楽屋なんてそんなもんで、毎年お盆に横浜でやってる会があって、そこで年に一回木久蔵アニさんに会うんです。……普段普通の落語会では会わないですから……。それで、今木久蔵アニさんが全身脱毛してるんですって。それを聞いた楽屋の全員、皆五十代ですよ、揃って毛の話ばっかり。遊雀師匠なんかは『俺は自分でこう剃ってる』とか、一之輔くんは『私頭はこんなですけど体毛はないんですよ』とか。……ホント不毛な話ばっかり」。上手い。
「今年は花火も復活して、足立区の花火は私の家のすぐ近くなんです。集まるのは三々五々ですけど、終わると皆一斉に北千住に向かって帰る。マンションの上から見てて気持ち悪くなるくらい。どうなんでしょう、2万発の花火らしいですけど、これを7月1日から8月31日まで、毎日あげたらどうですか。1秒1発上げるとして、5分で300発。2か月でちょうど2万発くらいになるでしょう。毎日夜の7時になったら5分間花火を上げる。そしたらあんなに一気に人がこないと思うんですがねえ」。地元民はいいけど、区外からお金は落ちなさそう。……でもあの1日で足立区になんかお金入るのかな。
その他にも大阪に行ったら外国人ばかりだったという話や、兼矢さんと一緒に宮崎に仕事に行ったら、車の運転手がなかなかの強キャラだったという話など。宮崎の運転手の話は落語に出てくる権助そのまんま。悪い人ではないんだろうけど、たぶん横にいたらイラッとするんだろうなあ。それを兼好師のあの口調で語られるから面白いけれど。

げんきさん、聴くたびに持ち時間が長く難しい噺に。もう『孝行糖』まで教わったの!? とはいえこの噺はトントンとテンポよく聴きたいが、まだまだ重さがあってこちらも乗り切れない。まあそこらへんは追々。

兼好師の一席め、「最近は我々噺家はビッグモーターと日大にお世話になりっぱなし。とはいえビッグモーターの店舗前の街路樹を枯らそうとしていたのは我々圓楽党は大きなことを言えない。というのも、五代目の圓楽師匠が立てた若竹という寄席は全然お客が入らなかった。なんでかと思っていたら、駅を出て若竹を見ると看板が街路樹で隠れてるとお客さんに指摘されたんだそうで。激情家の圓楽師匠ですから、ノコギリで街路樹を切ろうとした。さすがに弟子に止められて、『街路樹に虫がいっぱいつくと区が伐採してくれますから、虫を増やしましょう』とアイデアを出された。そうかってんで虫を集めていたら、その間に若竹が潰れちゃった。虫を集める前にお客を集めることを考えたほうがよかった」。ごもっとも。
「日大は定期的に話題を提供してくれますね。林真理子さんは半分は『なんで私が』と思ってるでしょうけど、あとの半分は『いいネタ貰った』と喜んでると思いますよ。これで大学の内幕の小説書いたら売れるでしょうね。先代学長、日大のドンが裏で糸を引いてるって噂もありますし。大河ドラマいけるんじゃないですか。『せごどん』に続いて『日ドン』なんて」と楽しそう。
「上に立つものはいろんなことを想定して、危機管理をしなければならない。幕末の頃は黒船がきたことで庶民にも危機感が生まれたようで、落語に出てくるような熊さんや八つぁんも剣術の道場に通っていたそうで」と『館林』に入る。
「武者修行」を「無茶修行」と発音するときの八つぁんの顔がなぜか目を閉じて鼻の下を伸ばしながらなのがおかしい。
この噺を聴くたびに思うのだが、途中まではよくある知ったかぶりでうまくいかないオウム返しだったのに、最後にいきなりスプラッターホラーになる落差がものすごい。逆『団子坂奇談』というか。

うめ吉姐さんはいつも通り。

兼好師の二席め、唄や踊りにも流行り廃りがあるようで、先ほどうめ吉姐さんが踊った『茄子とかぼちゃ』はあまり踊る人がいなかったという。
噺も同様で、『館林』などは好楽師が前座の頃はやたら流行っていたそうだ。今じゃコンスタントに高座に掛けるのは兼好師と一之輔師くらい? 正楽師が知らなかったくらいだからなあ。
「最近では新作でも『擬古典』というのが流行ってますね。江戸時代が舞台の新作。現代を舞台にすると、携帯なんかも半年で古くなってしまう。舞台が江戸ならそれより古くなることはないですし、ある種のファンタジーなので多少のウソを入れたところで『そうはならないだろう』となりにくい」。先日若手の擬古典の会のゲストに出演し、そこで兼好師も擬古典を一席やったようなのでその噺かとちょっと期待したのだが、さすがに間隔が短すぎてそれはなかった。
「あの白鳥師匠が作った擬古典をやってみようかと……」と『河童の手』に。昨年の白鳥師との二人会で聴いた以来。
冒頭に「この噺は古典です。……そう言えと白鳥師匠の原稿に書いてあった」とわざわざ断るのがおかしい。
甘やかされて育てられた若旦那が、いよいよ愛想を尽かした番頭を引き留めるために『三両の元手で百両の値打ちのあるものを3日の間に仕入れてくる』というミッションに挑むという噺なのだが、そこでさんざん偽物や無価値のものを持ってくる。その中で「これはどうだい」「これは?」「CDだよ、三遊亭白鳥の『柳田格之進』。稽古中のを隠し録りしたもので珍品だろ、本物だよ」「……確かにこれは本物のようですな」「どうだい、これは百両の価値があるだろう」「本物だろうが白鳥の普通の古典にはなんの価値もありません!」というくすぐりがたまらない。
以前に聴いたときも思ったが、この噺はこのまま古典として定着できそうな気がするなあ。こまごまとしたくすぐりに時事ネタや現代ネタを入れることで古臭くもならないし。こういうの聴くとやっぱり白鳥師ってすごいんだなと思う。もちろん兼好師の腕があってのことであるというのも兼好ファンとしては譲れないところではあるけれど。圓朝(圓鳥?)襲名も現実味を帯びてたりして。
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