第3回 谷根千の落語会 志ん生座 [落語]
第3回 谷根千の落語会 志ん生座
於:根津 不忍通りふれあい館B1Fホール
柳家いっぽん『弥次郎』
立川らく里『親子酒』
三遊亭兼好『天狗裁き』
柳家喬太郎『首ったけ』
昔昔亭桃太郎『茶の湯』
日暮里からぷらぷらと歩いて会場まで。
古今亭志ん生が得意としていたネタを、当代の噺家たちが演ずるという会で、以前は巣鴨のスタジオFOURで行っていたらしいが、キャパの都合か根津で行うようになったらしい。定員120人も、今日も満員のようだ。
兼好師はGWは割と暇になる、という話題から。こどもの日があるせいか、子どもメインのイベントが多く、落語家はあまり呼ばれないのだとか。
あってもいろいろと痛い目にあうらしく、以前行ったイベントではアスレチックと昼食の後に落語で、ほぼ全員が寝ていたというエピソードを語っていた。
そこからうたた寝をしている『天狗裁き』の冒頭へ。
改めて思ったのは、兼好師は間のとり方と、その間のときに見せる一瞬の表情がものすごくうまい。
例えば、隣家の男や大家に「で、どんな夢見たんだ?」と尋ねられたときに一瞬「ん、ん?」と間を開けてキョトンとした表情を見せるのだが、これがえもいわれずおかしい。
こういう心地よさが人気なんだろうなーと思う。
喬太郎師は去年の落語教育委員会以来か。
久しぶりとは思っていたが、こんなに開いていたとは。
牧伸二さんが亡くなったという話から、喬太郎師が昔観ていたテレビの演芸番組の話題をマクラに。
懐かしさに大ウケする人と、ポカーンとする人と二分されたらしく、残念ながら私は後者だった。
そこからさらに昭和の名人たちの話題へ移る。
普段はこんな自慢はしないのだけれど、と前置きをしながら話したところによると、喬太郎師の真打昇進の披露興行で、小さん師と志ん朝師が口上に並んだのだそうだ。しかもそれが志ん朝師最後の披露口上だったらしい。思わず会場から「おおー」の声が上がると、「いい反応! キモチイイ!」とのけぞっていた。
さらに自慢話として、真打昇進一年後くらいに池袋昼席でトリをとることになった際、夜席の主任が志ん朝師だったとのことで、喬太郎志ん朝の二枚看板だったそうだ。「あまりの嬉しさに気が狂い、そのまままだ治っていない」とのこと。やっぱりすごいことだったんだろうなあ。
そんな自慢話で興が乗ったのか、噺に入ってからもキレっキレ。息もつかさず聴かせる怒涛の話しっぷりで、特に辰っつぁんの啖呵は見事だった。
桃太郎師、漫談ではない落語を聴くのは初めてかもしれない。
新作の人らしく、話が大幅に脱線したり、うまく現代のエッセンスをくすぐりに取り入れていた。
たっぷりとマクラと脱線を話し、約30分ほど予定をオーバーして終演。聴き応えがあった。
帰る際に根津駅のホームで、私の目の前を喬太郎師が横切っていった。
あっと思ったけれど、なんて声をかけていいのかわからず、逡巡しているうちにそのまま行ってしまった。
「今日の噺よかったです」とかでも失礼な気もするし、言われた方だって「あ、そう、どうも」しかないだろうしなぁ。
サイン……といったって『東京かわら版』とボールペンしかないし。うーむ。
知り合いのおばちゃんだったら躊躇せずにガンガン行くんだろうな。あのコミュニケーション力は羨ましい。
RICOH CX4
於:根津 不忍通りふれあい館B1Fホール
柳家いっぽん『弥次郎』
立川らく里『親子酒』
三遊亭兼好『天狗裁き』
柳家喬太郎『首ったけ』
昔昔亭桃太郎『茶の湯』
日暮里からぷらぷらと歩いて会場まで。
古今亭志ん生が得意としていたネタを、当代の噺家たちが演ずるという会で、以前は巣鴨のスタジオFOURで行っていたらしいが、キャパの都合か根津で行うようになったらしい。定員120人も、今日も満員のようだ。
兼好師はGWは割と暇になる、という話題から。こどもの日があるせいか、子どもメインのイベントが多く、落語家はあまり呼ばれないのだとか。
あってもいろいろと痛い目にあうらしく、以前行ったイベントではアスレチックと昼食の後に落語で、ほぼ全員が寝ていたというエピソードを語っていた。
そこからうたた寝をしている『天狗裁き』の冒頭へ。
改めて思ったのは、兼好師は間のとり方と、その間のときに見せる一瞬の表情がものすごくうまい。
例えば、隣家の男や大家に「で、どんな夢見たんだ?」と尋ねられたときに一瞬「ん、ん?」と間を開けてキョトンとした表情を見せるのだが、これがえもいわれずおかしい。
こういう心地よさが人気なんだろうなーと思う。
喬太郎師は去年の落語教育委員会以来か。
久しぶりとは思っていたが、こんなに開いていたとは。
牧伸二さんが亡くなったという話から、喬太郎師が昔観ていたテレビの演芸番組の話題をマクラに。
懐かしさに大ウケする人と、ポカーンとする人と二分されたらしく、残念ながら私は後者だった。
そこからさらに昭和の名人たちの話題へ移る。
普段はこんな自慢はしないのだけれど、と前置きをしながら話したところによると、喬太郎師の真打昇進の披露興行で、小さん師と志ん朝師が口上に並んだのだそうだ。しかもそれが志ん朝師最後の披露口上だったらしい。思わず会場から「おおー」の声が上がると、「いい反応! キモチイイ!」とのけぞっていた。
さらに自慢話として、真打昇進一年後くらいに池袋昼席でトリをとることになった際、夜席の主任が志ん朝師だったとのことで、喬太郎志ん朝の二枚看板だったそうだ。「あまりの嬉しさに気が狂い、そのまままだ治っていない」とのこと。やっぱりすごいことだったんだろうなあ。
そんな自慢話で興が乗ったのか、噺に入ってからもキレっキレ。息もつかさず聴かせる怒涛の話しっぷりで、特に辰っつぁんの啖呵は見事だった。
桃太郎師、漫談ではない落語を聴くのは初めてかもしれない。
新作の人らしく、話が大幅に脱線したり、うまく現代のエッセンスをくすぐりに取り入れていた。
たっぷりとマクラと脱線を話し、約30分ほど予定をオーバーして終演。聴き応えがあった。
帰る際に根津駅のホームで、私の目の前を喬太郎師が横切っていった。
あっと思ったけれど、なんて声をかけていいのかわからず、逡巡しているうちにそのまま行ってしまった。
「今日の噺よかったです」とかでも失礼な気もするし、言われた方だって「あ、そう、どうも」しかないだろうしなぁ。
サイン……といったって『東京かわら版』とボールペンしかないし。うーむ。
知り合いのおばちゃんだったら躊躇せずにガンガン行くんだろうな。あのコミュニケーション力は羨ましい。
RICOH CX4
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