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入船亭扇辰一門会 [落語]

入船亭扇辰一門会
於:中野 なかの芸能小劇場

入船亭辰ぢろ『千早振る』
入船亭小辰『藪入り』
入舟辰乃助『死神エピソード0』
入船亭扇辰『竹の水仙』

高円寺のタイ料理屋でメシを食ってから中野に。タイカレーなら毎日食える。

辰ぢろさん、最近は師匠から「おい、ぢろ」と呼ばれるようになり、「これはもしや犬扱いなのでは……?」と思いだしているとか。
「先ほど開演前の影ナレで一部音が乱れて『あれ?』と思った方がいらっしゃるかと思いますが、あれは小辰兄さんが目の前で不思議な踊りを踊ったりくすぐってきたり……」といったところで「お前バラすなよー」と帯を締めている途中の小辰さん乱入。
最近はだいぶリラックスしてる感じ。

小辰さん、真打昇進の報告で盛大な拍手をもらう。「最近これをいうといつもの10倍拍手をもらえることに気づいたので積極的に使っていきたい」そうな。
「辰ぢろは自分で『犬っぽい』といってましたけど、確かにそんなところがある。呼びかけるとなんかハッとしたような顔をするんです。あるいはかわいくないネコみたいな……」だそう。
「血が繋がってるわけではないですが、芸の上では親子なので」と親子の噺へと入る。
んーまあそもそもあまり『藪入り』自体が好きではないので、感想もそんなにないんだよなあ……。披露興行は何日かは絶対に行くが、できれば避けたい演目。
または苦手意識を吹き飛ばすようなものを期待するか。

辰乃助さん、小辰さんと一緒に昇進する三人集にアパートを深夜襲撃された話をマクラに。酔っ払った輩が近づいてくると思ったら一蔵さんだったという、まあオチ自体は読めるというかそれしかないだろうなというもの。着替え終わった小辰さんに「やめろよ」と乱入される。
噺は『死神』の前日譚。
死神がなぜ死神になったか、なぜ寿命を蝋燭で管理するようになったか、「アジャラカモクレン」の呪文はどうやってできたか、といったストーリー。
神様学校を卒業して死神になった死神が、SMクラブに入ったというまあまあの下ネタ。
ムチを作るときに扇子と手ぬぐいを使うのだが、さすがに師匠の手ぬぐいは使えない、と小辰さんの手ぬぐいを取り出して扇子に結び、ムチにする。
「こんな噺を一門会でやっていいのかな」と両手を縛られた形で呟くのがおかしい。そのムチを振るうときに「死ぬほど小言いいやがってー!」と私怨が混じっている。
ちょっと粗削りだけど、面白い。もう少し整合性とか細かいところを作り込んだらもっと面白くなりそうな気がする。昨年も思ったけど俺結構辰乃助さんの新作好きかも。

扇辰師、「小辰のことを師匠の口から言おうと思っていたら自分でいっちまいやがんの。さらに辰乃助まで……。もうアタシが言うことがない」とボヤく。
「小辰の名前どうしようかねえ。小辰のままでもいいんだけど、なんか小物感があるでしょ」。一部ネットでは扇橋襲名あるかとも上がってるが。「いい名前あるんだよ」。ほうほう。「辰じんてのが……」前座に戻るんかーいって会場みんなで思ってたはず。
「そうはいっても噺家ってのは真打になってからの方が長いんだから。アタシだってもう20年くらい経っててそれまでより長い。後は死ぬまで真打だからね。……人生ってのは旅に例えられることがありますから、それじゃ旅のお噂でも……」と『竹の水仙』に。
扇辰師のは久しぶり。
宿の夫婦の主は婿で8年め、妻は先代の娘で家付きのお嬢さんという設定。事あるごとに「あんたは婿で8年め」とチクチクと責められ、最終的には甚五郎にまで見抜かれてしまうのがおかしい。
大筋は同じなのだが、細かい部分が他の人とは型が異なっており、たとえば値を聞いてきた家来の郡山剛蔵(国宝が亡くなった後もこれのままなんだ)に対して「他の大名であればもっと欲しいところであるが、相手が越中ならば」というセリフがない。しかし、細川のお殿様は買い主が自分であると甚五郎に知られているとわかると、百両の竹の水仙に自主的に五百両払うという太っ腹ぶり。それがかっこいい。しかも甚五郎はそれを全部宿の主にあげてしまう。……明日から江戸までどこに泊まるんだろう……。
無理にオチをつけずにおめでたい雰囲気のまま終わる。これも小辰さんへの気遣いなのかもしれないなーと思う。
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